1月号(2014)
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“愛されている”という真実に目覚める。

“愛されている”という真実に目覚める。

 

先日、クリスマスカードの文書を探すために聖書を開きましたが、ベツレヘムの羊飼いたちに伝えられたメッセージが、主イエスの誕生の意味を深く表していることに新たに気付きました。

“恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日あなたがたのために救い主がお生まれになった”(ルカ2、10-11)

 

. 愛されていないという怖さから解放された。

“恐れるな”という言葉が何回も新約聖書に現れます。

我が人生の中でいろんな怖さが現れますが、皆の心の中に現れる怖さは、愛されていないと、愛することはできないということです。

おそらくこの真実について意識していない人々が多いのですが、そのために自分の心の中を深く見ることが出来ないし、本当の意味で抱いている怖さから解放されることはできません。

クリスマスのメッセージを初めて聞いた人々は羊飼いたちで、すなわち、 誰からも愛されていない、差別された人々でした。

初めて彼らは“神から愛されている”というメッセージを聞きましたが、これこそ皆がクリスマスの中でいただくメッセージです。

現在も主の降誕祭の典礼の中で、教皇聖レオ一世の説教の言葉が朗読されています。

“今日は私たちの救い主がお生まれになりましたが、喜びましょう!この喜びから誰も締め出されていません。実際に共通の喜びの原因は我が主が皆の解放のために来てくださいましたことです。聖人よ、喜びなさい、あなたの報いが近づきました。罪人よ、喜びなさい、あなたにゆるしが与えられます。異邦人よ、喜びなさい、あなたも命に呼ばれています。”(PL54、190ページ)

私たちが神によって優れた方法で創造され、さらに優れた方法であがなわれたという信仰によって生まれる確信ですが、私たちが無償で、無条件で愛されています。

典礼の中で感謝しながらこの確信を宣言します。

“あなたは御自分にかたどって人を造り、・・・人があなたに背いて親しい交わりを失ってから、死の国に見捨てることなく、すべての人があなたを求めて見出すことができるように、いつくしみの手をさしのべられました。”(第4奉献文)

 

修道院長であった聖ベルナルドも、ある降誕祭の説教の中で、主イエスが怖さから私たちを解放させるために来てくださったことを宣言して、人間の罪のページを思い出しながら(創世記3、8-10)次のように話します。

“人間よ、どうして怖いのですか、どうして御顔から遠く逃げたいのですか。 逃げないで、恐れないで、神が罰を与えるためではなく、救うために来てくださいます。あなたもアダムと同じように“あなたの声が聞こえたから恐ろしくなりました”という言葉を繰り返さないように、ご覧ください、あなたに話さない赤ちゃんとして近づきたいのです。赤ちゃんの泣き声が誰をも怖くさせないで、親しみを起こす声ですが、この真実によって、あなたを裁くためではなく、あなたを救うために来てくださったことを悟りなさい。

(主の降誕祭にI、3)

 

.“・・・信じる人々には神の子となる資格を与えた。”(ヨハネ1、12)

私たちが愛されていないという怖さから解放されたのは、兄弟として私たち と共に住むようになった主イエスのお陰です。

誰かが私を見る前に、神の愛に満ちた目で私を見られたことがありました。

誰かが私に話しかける前に、神の永遠の愛の声が私に話しかけました。

使徒パウロの言葉で言えば、“天地創造の前に、神は私たちを愛してキリストにおいてお選びになりました。”(エフェ1、4)

私の尊さ、特徴、唯一性は人生の中で出会っている人々によってではなく、永遠の愛で私を大事にしてくださる神から与えられています。

これが私の本性になっていますが、人間をあまり大事にしないで、お金、自己満足などを大事にする社会の中で、このような意識を保つためには、霊的な戦いを行うことになります。その戦いの要素は次のようです。

1.世の価値観によって惑わされないように気をつけなければなりません。例えば、何を持っているか、どういう支配を振るっているかということではなく、どういうような人間であるかということのほうが大切です。

2.教会を始め、私たちの本性に目覚めさせ、それを育てる場を探したり利用したりすることは大切です。聖人たちが自分たちの模範によって私たちを導いたり励ましたりしてくださり、信者同士でお互いに支え合うことができます。

3.愛されていることを祝うのは大切ですから、感謝の祈りをささげるのは“ま ことに大切な務めです。”(ミサの叙唱)感謝の祭儀が信仰生活の中心になっているのは、その中で、主イエスによって愛されていることに新たに目覚めるという訳です。

実際に、神の子が人間になったのは、人間が神の子になるためです!

主の降誕祭 2013年     兄弟である神父  ジャンピエロ ブルニ

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